メンターが遺してくれたこと

仕事で、闘病の併走を通じて、教えとして遺してくれたことをグリーフケア兼ねて綴ります

突然の併走の終わり

長らく間が空いてしまいました。

実はこの間に、併走する日々は突然終わりを迎えました。

先日、百箇日を終えたところです。

 

がんになって唯一救いがあるのは亡くなるまでの猶予や時間があること、というのを本で読んでいた私は、心のどこかで、余命宣告があって、それから別れはやってくるもの、と思い込んでいました。

 

でも、その日は突然やってきました。

 

※※※

 

経過としては、咽頭がん放射線&抗がん剤治療が終わり、食道がんの手術を終え、2021年の年末にはこれからは経過観察ですね、と言われていました。

 

そして1月、2月の定期健診では、特に異常はなかったのですが、3月上旬にCT検査の結果、肺に影がある、と言われました。

 

その時点では、まだ転移だと確定もされず(とはいえ、転移かな…とは思っていましたが)5月のGW明けにもう一度CTを撮って、影が大きくなっているようだったら治療を検討しましょう、といったお話でした。

 

そこから約3週間後。
右半身に麻痺がある、とのことで急遽診察に行くことに。
MRIを撮影したところ、脳に影があると。

それを聞いて、脳転移をネットで検索したら、どうもそこから余命1年とか、そんな感じなるのかな…と、実感が沸かないままに考え、落ち込んでいました。

でも流石にそこから数日とまでは思っていませんでした。

 

診察してもらったのは金曜日
食道がんを診てくださっていた外科の先生が診てくださり、脳神経外科の診察を(金曜日はいらっしゃらなかった)最速で月曜日にいれてもらいました。

 

その日は、確かに身体の右側に力が入らない状態でしたが(加えて本人の気力とプライドもあったのだと思いますが)自分で歩き、診察後はスーパーにも寄って帰ったのです。

もちろん、会話も普通に出来ていました。

ただ、食事だけはほぼ口にできずでした。

 

月曜日の診察時までの週末、一人で大丈夫ですか??(むしろここ数日はどうやって一人で生活していたのかしら…とびっくりした)という問いに、また月曜日に会うから、何か困っていたら、その時に、と話したのでした。

 

そして土曜日

月曜日の診察に関しての連絡が電話であり、その時も話は普通に出来ていました。

改めて、お家に伺おうか?と尋ねたのですが、大丈夫だと。

 

 

結果的に、その時に電話で話したのが最期になりました。

 

 

月曜日の診察の待ち合わせ時間に、いつも絶対遅刻しないのに現れず、電話をしても繋がらない。

身体の麻痺があったから、何か困っているのかも、と慌てて家まで駆けつけました。

何かの事情で遅れていて、すれ違いになったらどうしようか、と心配しながらタクシーに乗った記憶があります。

 

マンションについて、お家のインターフォンを押しても返事がないので、預かっていた鍵で部屋に入ると、お部屋が暗い。

 

あ、入れ違いになったかな、良かった、お家で倒れているかもと思ったのは間違いだった、と一瞬思ったのを覚えています。

 

でも次の瞬間、金曜日に私が揃えて帰った靴がそのままになっているのに気づき、違う!と思って駆け込んだのです。

 

すると、廊下から寝室で倒れているのが目に入り、慌てて声をかけて、手を握ったら冷たい。

声をかけても反応がない。

それでも、その時、亡くなっているのかも、というところまでは頭が回っていませんでした。

 

とりあえず救急車、と思って、でも110番は出てくるのに、救急車がいざとなったらわからない。スマホで調べて、119番。

 

119番をするのは、人生初だったのですが、救急隊の方に「息をしていますか」と尋ねられて、その時初めて、そういえば息をしていない、亡くなっているのかも、と思い至ったのです。

 

手が冷たいのは、私が冷え性で、冬にはそれぐらい冷たくなるからか、私の中で死とはすぐに結びつかなかったのです。

 

でも考えてみたら、こんなに手が冷たいってことはない。

救急隊の方が「息をされていないなら、心臓マッサージはできますか?」と尋ねられ、それに対して、私、これから肋骨折るぐらいの勢いで心臓マッサージしないといけない!?と思ったのですが、そもそも倒れている場所の関係上、身体を私一人で起こすことが出来ず、心臓マッサージをするには至りませんでした。

 

しかし、この時に、私はどこかで亡くなっているとわかっていたのだと思います。

救急隊が来るまで、手を握って、どこかでもう遅いのかも、と思いつつ声をかけていました。

 

救急車の音が聞こえてくると、あぁあの音が煩いとクレームをいう人がいるらしいけど、待っている人からしたら、助けがやってきたとわかる音、というのは本当だなとぼんやり思ったのを覚えています。

 

救急隊の方にはまず、コロナについて尋ねられました。

そして案の定、すぐに亡くなっている、とわかり、救急隊の方が警察を呼んでくださいました。

現実感がなくて、どうしたらいいのかもわからず、でも救急隊の方にされる質問には、きちんと答えなければ、と多分端から見たら冷静に答えていました。

今から思うと、あまりに突然で泣くこともできなかったのかもしれません。

 

救急隊の方の質問で、ご家族に連絡を、と遠方に住んでいるご家族の方に電話連絡しなくてはいけない、と気づき、電話をして状況を伝えようとした時は、流石に少し泣けてきましたが、それでも何となく麻痺してしまって、夢を見ているような感がありました。

 

警察の方が来られると、消防隊の方が聞き取ったことを伝えた後に、改めて同じ質問を繰り返されました。

お家で亡くなって、救急車を呼ぶと家族があれこれ尋ねられて大変だ、というのはこれか、と思いました。

 

警察官の方に疑われている感はなかったので、個人的にそこまで不快だとかはなかったのですが、それよりびっくりしたことは、何人か来られた警察官の方が、家の中で貴重品を探し始めたことでした。

一瞬、警官だと思っていたけど、違うのかしら?!とすら思いました笑

 

私は、警察にあれこれ尋ねられることは何となく知っていましたが、警察が家の中の貴重品を確保?することは知らなかったのです。

今まで、本人が嫌がって、お家の中に殆ど人をいれなかったこともあり、私自身も、知らない人があれこれ棚を開けたりしているのは、家を荒らされている、と感じて、それが正直辛かったです。

警察の方からしたら、当然のことで、必要なことだったのはわかるのですが…。

 

まぁ結果的に、貴重品のありかは、ちょっと凝った隠し場所にあった為、警察のかたには見つけられず、教えてもらっていた私が教えることになったのですが笑

 

そして、粗方の聞き取りが終わると、ここから先は死因が確定するまでお家に入れないこと、などを説明されて、警察の方と遺体を残して、先に家を出されることになりました。

 

私の併走は、こんな風に、今日もまた診察に付き添って、その後入院の準備を手伝って…と思っていた日に、突然終わりました。