メンターが遺してくれたこと

仕事で、闘病の併走を通じて、教えとして遺してくれたことをグリーフケア兼ねて綴ります

亡くなった人と会話したいと思った時に

先に逝った大切な人に逢いたい、はもちろんのこと、自分の決意について相談したい、尋ねたいと思うことはありませんか。

どう返事をしてくれるか、今、もう1回会って相談できたら、と思う機会はきっとこれから先の人生においても本当に沢山あるんだろうなと思います。

そんな場合、どうしたらいいのか、について考えさせられるニュースを見ました。

 

 

三遊亭円楽さんのお弟子さんである楽㐂さんが、世界で一番大好きな円楽さんの弟子のまま終わらせたい、ということで、落語家を廃業するというニュース。

落語が好きで落語家になったのではなく、円楽さんが好きで落語家になったとのこと、本当に大好きで心から慕っていたんですね。

 

このニュースにはコメント欄でも、Twitterでも様々な意見がありました。

今後の楽㐂さんの進路を応援する声、落語家として続けていくことが良いのではないかとの声、様々でした。

 

その上で思ったことは、この楽㐂さんの決意について

・外野があれこれ言うべきではない

そして

・楽㐂さんは外野の声を一切きかなくて良い

ということ。

 

何かをしたい、という時のモチベーションが「人」であることは多々あります。

子どものためだから頑張れる、とか家族のためなら、が代表的なところですね。

むしろ「人」がモチベーションのものが実は多いのかもしれません。

 

だからこそ、大切な人を喪ったとき、その人のために、とは周りからよく言われがちな台詞です。

「○○の分も頑張って」「○○が悲しむから」などなど…

 

これは本当に外野が軽々しく言うべき台詞ではありません。

元気づけたかった、良かれと思って、という想いが根底にあるのはわかります。

 

ただ、亡くなった大切な方とその人の関係性は簡単にはわかりません。

確かなのは、ショックを受けた分、遺された人にとって大切だったということだけです。

そんな「ショックの度合い」という、目に見えて測れるものでもない関係性を、よくある台詞を使って他の人に簡単に代弁されると、どうしても「あなたに何がわかる」となります。

 

実際、私自身もメンターに「俺とめいちゃんの関係性なんて、他人から見たら絶対わからんからな」と言われたことを思い出しました。

確かに、父であり、メンターであり、仲間であり…という関係性で、私は病院に通い詰めていましたが、何も知らない看護師さん達からしたら、家族でもなければ親戚でもない、友人だ、と言われても、年若い愛人だと思われているんだろうな…とよく思ったものです笑

本当のところは当人同士にしかわかりません。

今となっては私にしかあの関係性や空気感がわからないのが何より寂しいですが…。

 

だからこそ、何かを尋ねたい、話したい、相談したいと思ったときは、私の場合は以下の方法を実践しています。

 

まずポイントとしては、人間にはみんな、第六感やら目に見えない力があって、それは自分にも少しはある、と思い込む。(実際、そういう感覚が鋭い方が霊能者などだと思いますし)

その上で

 

①静かな環境で目を閉じて、心の中で扉をイメージする

②その扉をノックして入ると、大切な人が座っているイメージをする

③そこで伝えたいこと、相談したいことなどを話す

 

イメージとしては映画にもなった小説「ツナグ」のような感じです。

本当にツナグがいて、実際に亡くなった人と逢わせてくれたらいいのに、と何度思ったかしれません。

まだ読んだことがない方は是非。

 

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読んだことあるよという方、続編があることはご存知でしょうか??

こちらも良かったので是非。

 

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なんだ、そんな方法か、と思った方も多いでしょう。

でも物凄くリアルに、詳細にイメージをして、取っ手を握り、扉を開けて部屋に入り…とイメージしたことがありますか?

私の場合は、実際にやってみると、今はまだ扉を開けて顔を見たところで私が泣いてしまって、そこから先に集中力が途切れてしまって上手くイメージを継続できず進めない、という状況です…。

また、ただ頭でこう言いそう、と思っているのと、実際にリアルにイメージして扉を開けるところからスタートするのはまた違います。

私も、顔を見た瞬間に自分が泣くと思っていなかったのでびっくりしましたし、その後の言いたいことも、リアルにイメージすると違ってきました。

夢でも良いから逢いたい、と思う方は多いと思いますが、深層心理で繋がる可能性があるのであれば、瞑想を通じて繋がれる可能性だってあるのではないかと思うのです。

 

 

今回の楽㐂さんの件も、私達には楽㐂さんと円楽さんの関係性など、表面上のことはさておき、詳細については知る由もありません。

だから、外野は何も言うべきではないし、楽㐂さんは迷うことがあれば、自分の心のなかにいらっしゃる円楽さんと話されたらいいのです。

 

「大切な人は心のなかにいる」とはよく言われますが、正直それだけでは何の慰めにもなりませんでした。

ただ、それにもう一つフレーズをつけて、「大切な人は心のなかにいて、扉を開ければ逢える」と思うと、私は少し心が軽くなる気がするのです。