電話でわかるプライオリティ
昨今でこそ、メールだけでなくLINEも仕事で使うようになってきたが、私のメンターは年齢的にか、またはせっかちな性格もあってか、電話が多かった。
とりあえずすぐに用件を済ませたいのだと思う。
前回の話でもあったように、会社員からフリーランスになった私は、もともと会社員時代の癖?もあり、そもそも電話は全て出ていたし、どうしても出られない場合は後から必ず折り返した。
そしてメンターもそうだった。こちらから掛けて、繋がらなくても必ず折り返してくれた。
そんな形で仕事をしていると気付いたのが、電話もそうだが、メールでもLINEでも返事が即!という人は意外と少ない。
特に電話はどうしても、相手がどうしているかわからないところに、連絡を取るので、相手の時間をもぎ取りにかかる、ということになる。
そんななか、常にある程度すぐに電話に出る、というのは相手に対して「私は相手を尊重しています(=プライオリティが高いですよ、大切にしていますよ)」という気持ちの現れになるのだ。
これは一度の電話などでわかるものではなく、日々の対応の積み重ねで相手に伝わる。
電話に限らず、メールでもLINEでも返事の早さというのは、相手に対する優先順位や自分を大切にしてくれているかを測るものなのだ。
大切にしたい相手には、とにかく連絡を早く返す。
恋愛の駆け引きとかはさておき、仕事においてはこれが言葉にせずとも伝わる一つの表現だし、逆に自分に対する対応はそれで測る、というのがメンターの考えだったのだと思う。
これはあながち間違っていなくて、口先だけの言葉で大切です!と言うのは簡単だが、行動を伴うので本当にそう思って実行しないと難しい。
とはいえ、土日や旅行に行っている間は、メンターは基本的に絶対電話はしてこなかった。(本人も基本、土日は電話とかLINEは見てなかったと思う)急ぎでもないのに、電話を掛けるのは、自分を休みの日でも優先しろ!ということになるからだ。
逆に、だからこそ連絡がある時は、余程の案件や急ぎだとわかった。
電話にメールにLINE、と色々な連絡手段が増え、いつでも連絡がつく時代。
実は気持ちの表現にもなっていることも理解して、スマートに使い越せる人になりたい。
嫌な電話は出ない
これは一般的な会社員が実践するには難しいけれど、私の中では印象に残っている教えの一つ。
当時、私とメンターが一緒に関わっているボランティアのプロジェクトに、個人的に苦手な人がいた。
電話がかかってくると、まぁ良い話であることはほぼなく、何より感情的に話をしてくるので、電話にその人の名前の表示を見る度にため息が出て、あぁヤダなぁ…と思ってしぶしぶ電話に出ていました。
その日も隣にメンターがいて、恐らくため息と共に電話を出て、電話後に、その人が苦手でスマホに名前が表示されるのを見るだけでぐったりする、みたいな話をしました。
それをきいてのメンターの返事が「嫌な電話やったら、でんかったらええねん」。
メンターと関わるまでは、普通の一般企業勤めで、電話と言えば、新人が率先して3コール以内に取りましょう!という世界。
そこへこのコメント。
いや、それ社会人としてどうよ、とか、そんな選択肢あり?とか、色々思ったけれど、そもそも絶対的に信頼している上司のようなメンターが出なくて良い、と言っている。
え、そうなの?と、とても混乱したのです。
ただ、その後色々考えてみると、フリーランスで仕事をしていると、自分で責任をとれる、結果を受入れられる覚悟があるなら何を選んでも良いのです。
結果が自分に跳ね返ってくるだけです。
例えば私がその電話にいつも出ない、そしてその人から私が電話に出ない人認定されて、電話が掛かってこない、となっても別段(短期的には)困らないというか、万々歳。
(※その人とは直接雇用関係があるわけではなかった)
一方で、その人からの信用はなくなるかもしれません。ただ、そもそもその人の信用が欲しいのか?と考えると、どちらかといえばもう関わりたくない笑
結論:電話にでる必要がない
とはいえ、小心者だったので、とりあえず3回に1回は出ることにして笑、電話に出ることを減らすことで、ストレスから身を守ることはできたのです。
フリーランスや個人で仕事をしていく上で、自分のメンタルを守ることは大切です。
自分が気持ちよく働くための環境作りも、自分でしないといけないのです。
自分のしたことは自分に跳ね返ってくるけれど、一方でその結果を受入れられるなら無理する必要はない、自分で選んで責任を持てばいいのだ、逃げてもいいんだ、と学んだ件でした。
ちなみに余談として、そんな教えを私に施したメンター自身も「(別の)○○は俺の電話に全然でぇへん」とか「○○は電話出るのが遅い」とか、よく文句を言っていました笑
プロデューサーとディレクターの違い
プロデューサーとディレクターの違いって何だと思いますか。
私がメンターに仕事関係で教えてもらったことで、一番印象に残っているものの一つがこのプロデューサーとディレクターの違いです。
私のメンターは、イベント業界における「プロデューサー」でした。
近年はフリーランスなどでは特に好きな肩書きを名乗ったもん勝ち、といった空気感や、それぞれの業界で○○プロデューサーと名乗っている人も多く、それこそ学生が自分で名刺を作って名乗っていることもあります。
その言葉に対する思い入れというのは人それぞれでしょうが、メンターの「プロデューサー」という肩書きに対する想いは凄く強かったのです。
「プロデューサー」と名乗ることに対する誇りや、あとはその役職に見合う能力の有無に対してとても厳しい目を持っていました。
最初、私もその辺りの感覚がよくわからず、メンターがブツブツ「だからアイツはディレクター止まりだ」などと愚痴を言うのをきいても、そもそも何がどう違うのだろう…と思っていました。
なので、ある日、タクシーのなかで喋っていた時にふと「プロデューサーとディレクターの違いって何ですか?」と尋ねたのだ。
返ってきた答えは「1秒で決められること」でした。
あまり言葉数が多い人ではなかったので、その後そんなにあれこれ説明してくれた記憶はないけれど、私自身はその言葉に、そしてほぼ即答でその返事を返されたことに、「プロデューサー」を自負するメンターの仕事を垣間見た気がして、あぁ本当に格好いいなと思ったのです。これがプロか、とも思いました。
実際、それ以降気にしていると、プロデューサーを名乗っている、名乗っていないに限らず「1秒で物事を決められる人」というのは意外と少ないです。
特に日本人は多数決が好きですしね。
でも、物事を統括する立場にあるプロデューサーが決めてくれないと、その下で働く人達の仕事もどんどん遅れが出る。その決断が正しいか、間違っているかはさておき、確かに「決める」というのはとても大事です。
そして決めたこと、に対しては責任が伴います。
当然その責任も受入れる覚悟をもって「1秒で決める」。
それ以来、私にとっても「プロデューサー」は特別で重い肩書きです。
突然の併走の終わり
長らく間が空いてしまいました。
実はこの間に、併走する日々は突然終わりを迎えました。
先日、百箇日を終えたところです。
がんになって唯一救いがあるのは亡くなるまでの猶予や時間があること、というのを本で読んでいた私は、心のどこかで、余命宣告があって、それから別れはやってくるもの、と思い込んでいました。
でも、その日は突然やってきました。
※※※
経過としては、咽頭がんの放射線&抗がん剤治療が終わり、食道がんの手術を終え、2021年の年末にはこれからは経過観察ですね、と言われていました。
そして1月、2月の定期健診では、特に異常はなかったのですが、3月上旬にCT検査の結果、肺に影がある、と言われました。
その時点では、まだ転移だと確定もされず(とはいえ、転移かな…とは思っていましたが)5月のGW明けにもう一度CTを撮って、影が大きくなっているようだったら治療を検討しましょう、といったお話でした。
そこから約3週間後。
右半身に麻痺がある、とのことで急遽診察に行くことに。
MRIを撮影したところ、脳に影があると。
それを聞いて、脳転移をネットで検索したら、どうもそこから余命1年とか、そんな感じなるのかな…と、実感が沸かないままに考え、落ち込んでいました。
でも流石にそこから数日とまでは思っていませんでした。
診察してもらったのは金曜日。
食道がんを診てくださっていた外科の先生が診てくださり、脳神経外科の診察を(金曜日はいらっしゃらなかった)最速で月曜日にいれてもらいました。
その日は、確かに身体の右側に力が入らない状態でしたが(加えて本人の気力とプライドもあったのだと思いますが)自分で歩き、診察後はスーパーにも寄って帰ったのです。
もちろん、会話も普通に出来ていました。
ただ、食事だけはほぼ口にできずでした。
月曜日の診察時までの週末、一人で大丈夫ですか??(むしろここ数日はどうやって一人で生活していたのかしら…とびっくりした)という問いに、また月曜日に会うから、何か困っていたら、その時に、と話したのでした。
そして土曜日。
月曜日の診察に関しての連絡が電話であり、その時も話は普通に出来ていました。
改めて、お家に伺おうか?と尋ねたのですが、大丈夫だと。
結果的に、その時に電話で話したのが最期になりました。
月曜日の診察の待ち合わせ時間に、いつも絶対遅刻しないのに現れず、電話をしても繋がらない。
身体の麻痺があったから、何か困っているのかも、と慌てて家まで駆けつけました。
何かの事情で遅れていて、すれ違いになったらどうしようか、と心配しながらタクシーに乗った記憶があります。
マンションについて、お家のインターフォンを押しても返事がないので、預かっていた鍵で部屋に入ると、お部屋が暗い。
あ、入れ違いになったかな、良かった、お家で倒れているかもと思ったのは間違いだった、と一瞬思ったのを覚えています。
でも次の瞬間、金曜日に私が揃えて帰った靴がそのままになっているのに気づき、違う!と思って駆け込んだのです。
すると、廊下から寝室で倒れているのが目に入り、慌てて声をかけて、手を握ったら冷たい。
声をかけても反応がない。
それでも、その時、亡くなっているのかも、というところまでは頭が回っていませんでした。
とりあえず救急車、と思って、でも110番は出てくるのに、救急車がいざとなったらわからない。スマホで調べて、119番。
119番をするのは、人生初だったのですが、救急隊の方に「息をしていますか」と尋ねられて、その時初めて、そういえば息をしていない、亡くなっているのかも、と思い至ったのです。
手が冷たいのは、私が冷え性で、冬にはそれぐらい冷たくなるからか、私の中で死とはすぐに結びつかなかったのです。
でも考えてみたら、こんなに手が冷たいってことはない。
救急隊の方が「息をされていないなら、心臓マッサージはできますか?」と尋ねられ、それに対して、私、これから肋骨折るぐらいの勢いで心臓マッサージしないといけない!?と思ったのですが、そもそも倒れている場所の関係上、身体を私一人で起こすことが出来ず、心臓マッサージをするには至りませんでした。
しかし、この時に、私はどこかで亡くなっているとわかっていたのだと思います。
救急隊が来るまで、手を握って、どこかでもう遅いのかも、と思いつつ声をかけていました。
救急車の音が聞こえてくると、あぁあの音が煩いとクレームをいう人がいるらしいけど、待っている人からしたら、助けがやってきたとわかる音、というのは本当だなとぼんやり思ったのを覚えています。
救急隊の方にはまず、コロナについて尋ねられました。
そして案の定、すぐに亡くなっている、とわかり、救急隊の方が警察を呼んでくださいました。
現実感がなくて、どうしたらいいのかもわからず、でも救急隊の方にされる質問には、きちんと答えなければ、と多分端から見たら冷静に答えていました。
今から思うと、あまりに突然で泣くこともできなかったのかもしれません。
救急隊の方の質問で、ご家族に連絡を、と遠方に住んでいるご家族の方に電話連絡しなくてはいけない、と気づき、電話をして状況を伝えようとした時は、流石に少し泣けてきましたが、それでも何となく麻痺してしまって、夢を見ているような感がありました。
警察の方が来られると、消防隊の方が聞き取ったことを伝えた後に、改めて同じ質問を繰り返されました。
お家で亡くなって、救急車を呼ぶと家族があれこれ尋ねられて大変だ、というのはこれか、と思いました。
警察官の方に疑われている感はなかったので、個人的にそこまで不快だとかはなかったのですが、それよりびっくりしたことは、何人か来られた警察官の方が、家の中で貴重品を探し始めたことでした。
一瞬、警官だと思っていたけど、違うのかしら?!とすら思いました笑
私は、警察にあれこれ尋ねられることは何となく知っていましたが、警察が家の中の貴重品を確保?することは知らなかったのです。
今まで、本人が嫌がって、お家の中に殆ど人をいれなかったこともあり、私自身も、知らない人があれこれ棚を開けたりしているのは、家を荒らされている、と感じて、それが正直辛かったです。
警察の方からしたら、当然のことで、必要なことだったのはわかるのですが…。
まぁ結果的に、貴重品のありかは、ちょっと凝った隠し場所にあった為、警察のかたには見つけられず、教えてもらっていた私が教えることになったのですが笑
そして、粗方の聞き取りが終わると、ここから先は死因が確定するまでお家に入れないこと、などを説明されて、警察の方と遺体を残して、先に家を出されることになりました。
私の併走は、こんな風に、今日もまた診察に付き添って、その後入院の準備を手伝って…と思っていた日に、突然終わりました。
告知直後こそ大事な緩和ケア~知っていてほしいオプション
何で知ったのかは覚えていないですが、色々と闘病記やら生死に関する本を大量に読み漁っていた私は、がん告知を受けたら緩和ケアもセットで受ける!と当然のように思っていました。
しかし、この認識は一般的ではないようで、緩和ケア=終末期、とか、治療方法がない人が受けるもの、という印象が強いようですね…。
緩和ケアの詳細については、日本緩和医療学会が以下のサイトで丁寧に説明されているので参考にしてもらえたらと思います。
ここでは、実際それを知っていたらどうだったか、についての経験を残しておきたいと思います。
まず最初の印象としては、私が付き添っていた病院はがんの専門病院で、緩和ケア科(精神腫瘍科という名前だったりもします)もありましたが、治療に受け身の態勢でいるとたどり着きにくそう…というものでした。
主治医と最初からある程度コミュニケーションが円滑にとれている、主治医が緩和ケアについて積極的、とかだったらラッキーですが、がん治療スタート=緩和ケアがセットでついてくる、というわけではありません。
がんの専門病院などは特にそうだと思うのですが、がん治療はチームで動くイメージです。
治療が始まると、私達の場合は
・咽頭がんということで頭頸部外科の先生
・食道に転移していたので外科の先生
・放射線治療をすることにしたので放射線科の先生
と主治医だけで3人、それ以外に
・歯科の先生
・薬剤師さん
・栄養士さん
・看護師さん
・入院事務関係の担当者の方
とそれぞれの担当があって、受け身でいても、入れ替わり立ち替わり本当に沢山の方と関わります。(そして一気に情報がきて頭がパンクする笑)
ただ、そこに緩和ケアの先生というのは入っていません。
言い方は語弊があるかもですが、現状では緩和ケアというのはオプションなんだな、というのが私の感想です。
そもそも受け身でいても、パンクする程の情報や検査日程などが来るので、それらを捌きつつ、告知を受けた初期、余裕もない時に更にこちらから情報をとって働きかけるというのは大変です。
私はたまたま緩和ケアというオプションがあることを知っていたので、組み込もうと頑張れましたが、そもそもそんなオプションがあると知らなかったら、不安の解消のケアにまで頭が回ったかはわかりません。
だからこそ、これから治療を頑張る方と付き添う人達に、ひと頑張りして緩和ケアにたどり着いてもらい、少しでも気持ちの負担を軽くしてほしいです。
ちなみに、私は付き添っていたお師匠様が、告知以降、あまり良く寝られていないこと、後はもともとの性格的にも、繊細な人だし、少しでも不安解消をして欲しく、とにかく早く緩和ケアをつけて欲しい!と思っていたのですが、怒濤の検査やら情報を捌きつつ、主治医は3人もいるし、そもそも厳密には家族でない私がどこまで口を出して良いのか、というちょっと特殊な状況下にもあったので、タイミングが難しかったです。
結果的には、看護師さんにこちらから積極的に緩和ケアをつけて欲しいと思っていることを伝え、放射線科の主治医が比較的丁寧に話をきいてくれたので、その際にあまりよく寝られていないことを伝えたところ、放射線科の先生が緩和ケア科に繋いでくださいました。
緩和ケアの先生は初回は1時間近く時間を取ってくださり、疑問や不安をきいてくださいました。
寝られていないことに関してのお薬の処方などもしてくださり、細かな不安、今後痛みがあった場合の対応なども請け負うので何でも伝えて欲しいと言われて、付き添っている私も安心しましたし、正直お師匠様が病院で一番コミュニケーションがとれたと感じた先生は、主治医よりも緩和ケアの先生だと言っていました。
主治医もしっかり対応してくださったのですが、本人としては、やはり時間をとって、話をしっかりきいてくれる先生が、どうしても印象が良くなりますね笑
なお、一通りの治療を終えた今は、定期的な緩和ケアの診察は受けていません。
本人も今はそこまで不安もないし、と言っていたので、最初の頃ほど必要性がなくなったというのもあります。
ただ、もし今後の治療でまた何か不安が出たときに、顔見知りの先生にかかれる、という安心感があること、そして今から振り返っても、やはり初期の不安を解消するのに、緩和ケアの診察は大切な時間だったと思います。
何もわからない、知らない時が一番不安だったりしますしね。
緩和ケア、終末期に受けるもの、という認識だと勿体ないです!
是非、一度緩和ケアの存在を知って、告知直後など、気持ちを整理する時間をとるという意味などでも取り入れてみては、と思います。
そして少しでも、治療を頑張る本人とその付き添いの方の不安な気持ちが解消しますように。
日記アプリ~経過記録と思い出を保管
バタバタしていて、ブログを書こう!という気力が途絶えていたのですが、ようやく余裕が出てきて、且つそろそろ最初に咽頭がんと食道がんだときいてから1年か…と思ったので、のんびりブログを再開することにしました。
というのも、最近Twitterなどで、これから抗がん剤です、手術です、という声を見かけて、あぁ1年前は私も何もわからずあたふたしてたな、不安だったな、と思い出したからです。
がん治療の難しいところは、人それぞれで、必ずしも他人の経験が自分に当てはまるとは限らないところですが、少しでも誰かの役にたったり、参考になったり、不安を和らげることができたら、と。
1年前の自分に教えてあげたいことをゆっくりですが、綴っていきたいと思います。
1年前のこととなると細かなことは忘れていそうなものですが、私は告知をされた日からスマホのアプリで日記をつけ始めました。
当時は病気の記録をつける、というよりは、当たり前のようにこの人と過ごせている時間はとても貴重だと再認識して、その日あったこと、話したことを忘れたくない、という想いからでした。
なので、自分の気持ちよりも、とにかく一緒にいた日にあったこと、食べたものや話したことについて、ひたすら打ち込んでいった記録、みたいなものです。
当時はブログを書くほど日々に余裕はなくて、電車の中など隙間時間にひたすら打ち込んでいました。
結果的に、それはどんな治療をした、説明を受けた、といったことも書くことになったので、前の診察では…?と振り返るのにも役立ちました。
そして、意外と話している内容の記録もあなどれず、この頃はまだ冗談言う余裕があったんだな、とか、この頃は治療が大変で殆ど会話なかったんだ、とかも振り返ると見えてきたりします。
私はiphoneなので以下のアプリを入れましたが、これに限らず、使いやすいアプリならどのアプリでも良いとおもいます。
このアプリは基本、無料で使えますが、書いた日記をダウンロードして保存したい場合等には、追加で課金が必要になります。
金額は忘れてしまいましたが、日記帳1冊買うことを思えば、まぁいいか、と思った記憶があります。
大事な思い出が詰まっているので、個人的にはバックアップがとれることが、アプリを決める上でとても大事でした。
シンプルですが、写真も貼れるし、カレンダー形式なのもあって、過去のこの辺りの日記を…と遡るのも便利です。
忙しくて大変で、余裕がない時のことは記憶がない…というのは病気に限らず多々あります。
でも実はその瞬間だって、とても貴重な時間だった、大変だったけどその時、一緒にあれこれ模索したことも大事な思い出の一つ。
そんな思い出を取りこぼしたくない!と思って、書いているのだろうな…と思います。
食事がとりにくい時の工夫~エンシュアリキッドを美味しく
抗がん剤を始めとする、がんの治療以外にも、治療中はご飯がとれないタイミングというのは何度も頻発します。
私が付き添ったお師匠様は、相当食事にこだわりのある人だったし、食べることを大事にしている人だったけど(鼻チューブとか、口から栄養を取ることで避けられるなら頑張る…!という意志が凄い)それでも嚥下に障害が出ると、意志の力だけではどうにもならないタイミングはありました。
嚥下障害があると、病院食は重湯になったり、病院から栄養補給ドリンクが出たりする。エンシュア・リキッドなどが定番のようですね。
ただ、これはとても甘くて濃いので、苦手な人も多いよう。
しかし、これはこれで、色々と工夫があって、管理栄養士さん曰く、コーヒー味にはブラックコーヒーを足したり、牛乳を混ぜると飲みやすいそうです。
以前、Twitter上ではバニラ味にアクエリアスを足すとカルピスっぽくなる!?とか、純ココアを混ぜると銅と亜鉛を補充しつつ飲みやすい、等のアドバイスもあってなるほどー!と、思いました。
他にもバニラ味は豆乳を入れたらタンパク質を補いつつ、あっさり飲めるとか、バニラ味150mlに卵をいれてレンジで温めたらプリンになる!(10分蒸す方が「す」が入りにくく美味しいそうです)、ガラスの容器に移して凍らせシャーベットにする、ゼラチン入れてゼリーにする、など皆さん色々工夫があって感心しました。
そのまま飲むのではなく「調理する」という発想があると、栄養をとりつつ摂取しやすくなるようです。
あとは市販の栄養ゼリーを使う人も多いかと思います。
コンビニなどで販売しているウイダーインゼリーなどが有名ですが、私は栄養士さんにこれよりも容量は少なく(飲み込むのが大変な時は少しでも効率よく、と思いますしね)それでいてカロリーがとれる明治の「メイバランス」を勧められました。
こちらはドリンク状以外に、ゼリー状のもの、そしてアイスバージョンもあるのです!
食はやはり楽しんで欲しい時間。
大変な時期だからこそ、少しでも「美味しい」と思って過ごしてもらえる為に、色々試行錯誤する日々です。
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